株式会社デライトフル代表・小林潤がさまざまな「建築人」を招いて建築論を展開する本連載。第二弾となる今回は、建築家・伊礼智と、吉村順三が手がけた「箱根山マンション」に住み、建築フリークとしても知られるコピーライターの岡本欣也による鼎談が実現した。
「箱根山マンション」とは、吉村順三が設計した分譲リゾートマンション「フジタ第一・二箱根山マンション」(1964年竣工)のこと。60年近くの月日を経て、施主である岡本欣也が吉村順三を師事した伊礼智にリノベーションを依頼し、その施工をデライトフルが手がけることで三者が顔を合わせることとなった。
モダニズム建築のオーソリティー・吉村順三の命脈を継ぐ、建築家・伊礼智はどのようにこのミッションに取りかかったのか。そして、デライトフル代表・小林潤は、世代を超えた現代建築のセッションをどう形にしたのだろうか。
後編はこちら
【建築人鼎談】吉村建築×伊礼リノベ〈後編〉
建築家の“社会性“と、設計の“質の向上“を見据えた家づくりとは。伊礼智とX年後の日本の住まい
中/伊礼智(いれい・さとし)
1959年生まれ、沖縄県出身。建築家。東京藝術大学建築科非常勤講師。1982年、琉球大学理工学部建設工学科卒業後、1985年に東京藝術大学美術学部建築科(奥村昭雄研究室)大学院修了。丸谷博男+エーアンドエーを経て、1996年に伊礼智設計室を設立した。2006年「9坪の家」(東京都)、2007年「町角の家」(東京都)でエコビルド賞受賞。2013年、「i-works project」でグッドデザイン賞を受賞。近著には『伊礼智の「小さな家」70のレシピ』(エクスナレッジ社/2017年)、『伊礼智の住宅設計作法 II』(新建新聞社/2017年)、『伊礼智の住宅設計作法III 心地よさの ものさし』(新建築新聞社/2021年)など。
左/岡本欣也(おかもと・きんや)
1969年生まれ、東京都出身。コピーライター・クリエーティブディレクター。岩崎俊一事務所を経て 2010 年にオカキンを設立。 TCC 賞、ADC 賞、各新聞広告賞など受賞多数。主な仕事に、ジオス「英語を話せると、10億人と話せる。」、JT「大人たばこ養成講座」「あなたが気づけばマナーは変わる。」、キリンフリー「飲酒運転を、0.00%に。」、GODIVA「日本は、義理チョコをやめよう。」など。そのほか日本郵便「年賀状は、贈り物だと思う。」、ミツカン「やがて、いのちに変わるもの。」 など岩崎俊一さんとの共作多数。著書には『ステートメント宣言。』(宣伝会議/2021年)、『「売り言葉」と「買い言葉」 心を動かすコピーの発想』(NHK出版/2013年)、『大人たばこ養成講座』シリーズ(美術出版社)。
右/小林 潤(こばやし・じゅん)
1975年生まれ、宮崎県出身。明治創業の建具商にルーツをもつ京都の老舗建築会社・株式会社築柴に入社。京都で建築の基礎を学び、営業部、施工管理、監督と下積みを経て、2003年に小田原の工務店、株式会社安池建設工業に入社。建築家・永田昌民に出会い、ともに家づくりを行う。その後、自身で考える住まい手に寄り添った家づくりをしたいという思いから2015年、神奈川県藤沢市に株式会社デライトフルを立ち上げた。湘南エリアを中心に、著名な設計士とともに組んで住まいづくりを手がけている。
小林:岡本さんは長年の建築ファンとのことですが、どういった経緯でこの「箱根山マンション」を購入したのでしょうか。
岡本:もともと吉村順三さんが好きで、あちこち建築を見て回るということをしていたのですが、ここからも見える「箱根ホテル小涌園」(1959年竣工、2018年閉園/吉村順三作)が閉園するタイミングで箱根山マンションを見に来たんです。吉村建築がなくなってしまうのを目の当たりにして、後世に残せるものは残していきたいという思いもあって購入を決めました。
小林:築50年以上のマンションでしたが、気にはなりませんでしたか。
岡本:僕の場合、もとを辿れば建築を好きになったのもリノベーションからなんです。自宅や事務所もリノベしていて、「箱根山マンション」も現状がどうなっているかよりも、リノベを前提に考えていました。
小林:そのとき、すでに伊礼さんにご依頼するということは決めていたのでしょうか。
岡本:吉村さんの精神を受け継ぎながら活動している人は誰かな、と思ったときに自然と伊礼さんのことを考えていましたね。あとになって自分でも「なんで、伊礼さんにお願いしたんだろう」と思うほど自然な流れでした。
これまで、建築関係の本をたくさん読んできましたが、もちろん伊礼さんの本も読んでいて。仕事柄テキストから人柄が分かったというか、伊礼さんのご著書から伝わってくるものに魅力を感じたんだと思います。実用性も専門性ももちろんですが、それだけなくて佇まいの良さみたいなことを読み取れたことが印象的でした。
小林:そういうことだったんですね。
岡本:伊礼さんは、なぜデライトフルさんに施工を依頼しようと思ったのですか?
伊礼:小林さんは、僕がこのエリアで仕事するときにご依頼する工務店のご出身なんですよ。そこから独立されて、堀部さん(※1)や永田さん(※2)と仕事をされていたので、一度一緒に仕事をしてみたいなと思って知人の建築士に紹介していただきました。初めてでしたが、心配はありませんでしたね。
※1:堀部安嗣/ほりべ・やすし。1967年生まれ、神奈川県出身。建築家。益子義弘に師事し、1994年に堀部安嗣建築設計事務所を設立。25年間に100軒以上の住宅や店舗等を設計し住宅を中心に質の高い建築のあり方を探って設計活動を行っている。2002年に第18回吉岡賞受賞、日本建築学会賞(作品)を受賞。近著には『住まいの基本を考える』(新潮社/2019年)など。
※2:永田昌民/ながた・まさひと。1941年、大阪府出身。建築家。東京芸術大学美術学部建築科を卒業後、益子義弘とM&N設計室を設立(1976年)。1984年、N設計室に改称。生涯164もの住宅に携わり、現在もその住宅の魅力と人となりが語り継がれている。2013年12月、72歳で逝去。
岡本:僕は門外漢なので分からないのですが、工務店さんによって出来不出来があるのでしょうか。あまり考えたことがなかったのですが、工務店によって差が出ることってあるんですか。
伊礼:そうですね。建築家や設計事務所がきちんとした図面を書いて、それに基づいて作ってくれればそれほど大きく良し悪しはないのかもしれません。ですが、設計の仕事って材料の選択まではなかなか関われないんですよ。材料の選択も、材の収まりや仕口(しくち)、見方など見えないところは工務店や大工さんの力量が試されるところです。
デライトフルさんは、大工さんが自慢げに説明してくれたりするので面白いですよ。堀部さんや永田さんなど著名な建築家と仕事をしてきたから鍛えられているんでしょうね。
小林:工務店っていろいろなタイプがあると思うんですよ。独自で設計して建ててしまうところだったり、メーカーのように量産をしたり、僕たちのように設計事務所や建築家さんからご依頼を受けたり。
伊礼:少し前の工務店のスタイルなんですよね。昔ながらというか、しっかりとやってきてらっしゃるというか。
ただし、その前提にはきちんとした図面を設計者が描くということに尽きると思います。いい加減だと職人さんたちがそれを読み込まないといけませんから。
小林:伊礼さんの設計は、しっかりと細部まで詰めていただいているので、図面通りに仕立てれば完成するようになっていますね。
岡本:設計があいまいな建築家もいるってことですか?
小林:いらっしゃいますね。その場合は事務所や現場で打ち合わせをしながら詰めていくことになります。
伊礼:毎日のように事務所や現場に顔を出して作業を進めていくところもありますね。吉村先生は「図面さえきちんと描いておけば現場に行かなくてもいい」とさえおっしゃっていました。
もちろん行かないということはないですが、それだけ図面が大事ということです。設計において一番大事なことは詳細図面を施工図に近い形で描くことです。それでないと現場でまったく役に立たちません。
伊礼:「箱根山マンション」を手がけるうえで、こだわった点のひとつが「ラワンベニヤ」です。吉村先生も永田先生も好きな素材で、僕も好きです。当時は安い材で、吉村先生はプロポーションがしっかりしていれば素材にはこだわらないということに加えて、ラワンベニアのような下地材に素材としての魅力を感じた最初の人なのだと思います。
小林:今では高級品ですね。きれいなラワンベニヤが手に入りにくくなりました。
伊礼:そういう材料の調達は工務店の腕の見せ所ですね。今回は、ラワンベニヤの色味や表情、コクを大切にしたかったのですが、黙っていてもしっかりと大変なところをデライトフルさんはやってくれました。そのあたりがほかの建築家さんからも信頼されているところなのでしょう。
小林:ラワンベニヤは、だいたい1パレット300枚で手に入れるのですが、そのなかからいいものを選んで実際に使うものを選別していきます。なかには全部ハズレなんてこともあるんですよ……。
岡本:そういった作り手の苦労って住み手は全然分かりませんね。言った通りのものが届くと思っていますから。
小林:僕らも材木屋さんに「伊礼さんの物件で使う化粧材だよ!」と言うと分かってくれて、きちんと調達してくれるので助かっています。こういう材料集めへのこだわりだったり、どうしてそれが必要なのかということは、工務店も材木屋も建築家の先生から教わるんです。
伊礼さんはじめ著名な建築家の方々は独自に材木屋さんとコネクションを持っていて、どこにどんなものをどう使うか、素材の集め方から熱心に取り組んでいらっしゃいます。伊礼さんは建築家のなかでもそういったアクションに注力された先駆けだと思います。その姿勢が僕らのような同じ物件に携わる人たちにとって非常に勉強になるんです。
岡本:信頼関係ですね。建築家も工務店も、われわれ施主には見えないところでのこだわりがあるんですね。
小林:最近は、ウッドショック(※3)なんて言われていますが、たしかに材料が手に入らなくなって以前より家が建ちにくくなりました。欲しい材がなかなか手に入らないという話を聞きます。
伊礼:だからこそ、国産材だと思うんですよ。単に輸入ものの安い材を買うのではなくて。しっかり信頼できるものを使うということもそうですし、国産材を使うことは環境を守ることです。
森がきれいなら川もきれいで、川がきれいなら海もきれい。すべてがつながっているという意識をもって取り組まなければいけません。住まいづくりはずっとそういう関係性でやってきたんです。
小林:小さな材木屋さんでも力のあるところは、きちんと材料が集められるし、ウッドショックのようなことが起きてもそんなには影響を受けていないと思いますよ。
※3:ウッドショック/2021年3月ごろから住宅業界における輸入木材価格の高騰のこと。日本の木材自給率は4割弱程度と6割を輸入材に頼っており、新型コロナウイルスの影響により輸入材が調達しにくくなり、住宅業界に深刻な影響を与えている。
伊礼:岡本さんはこれまで何度もリノベ経験があって、完成をすごく楽しみにされていたとお伺いしました。工期中も現場に足を運ばれていましたが、いかがでしたか。
岡本:個人的な好みではあるんですが、施行中のスケルトン状態で剥き出しになっている壁や柱を見るのが好きでして。素人が見ても分からないような大工さんの書き込みをなんかたまらないですね。
小林:施主さんがいらっしゃるとやっぱり緊張感がありますけどね。
岡本:構造上どうしても動かせない躯体がどう作られているのか、そういうところが見たかったんです。
小林:これまでのリノベに比べて、どんな印象を持ちましたか。
岡本:伊礼さんにご依頼して、伊礼さんと仕事をするような工務店さんだからどういうやり方をされるのか気になっていました。言っていいのか分かりませんが、工事が始まるとどうしても気持ちがはやってしまって、「早くやってほしいな」という気持ちでしたね(笑)。
でも、それがていねいな仕事なのだということは、あとになって理解しました。流れる時間がゆっくりに感じましたね。
小林:正直、今回はすごい時間をかけて作りました。材料を加工して組み上げて、ひとつずつ収めていくという作業で、すべてが一点物のようなものなので思ったよりも時間がかかってしまいました。
岡本:既成のものを組み上げるのではなくて、すべて違う材料をていねいに組み上げていくということはこういうことなのだなと、目の当たりにしました。
小林:以前に新築をお願いしたことのある大工さんだったのですが、比較的手の早い大工さんです。それでも時間がかかってしまうのだから現場は簡単ではなかったと思います。
岡本:急いでもいい成果をもたらすことにはつながらないと分かっていても、あまりに楽しみで焦ってしまいましたね。考え方を変えれば、その過程をしっかりと見届けられるのもリノベの楽しみですね。
小林:伊礼さんは、岡本さんから依頼を受けて、師匠筋にあたる吉村先生の物件に手を加えるということにプレッシャーはありませんでしたか。
伊礼:プレッシャーというか、「恐れ多い」というのが正しいかもしれません。最初に物件を見たときは60年近く経っているとは思えないほど、きれいな空間だと思いました。たしか岡本さんには「そのまま住まないんですか?」とお伺いしたと思います。
岡本:そうでしたね。方向性としては原状回復と考えていたのですが、せっかく伊礼さんにご依頼するのだからそれ以上の何かをご依頼できないかなと思っていました。
伊礼:依頼をいただいてからいろいろと考えましたね。単にレトロや懐かしさだけではない、高性能のペアガラスや小型で高機能な暖房機、それらを使うことで、今の時代のより吉村先生らしい、より合理的で心地よい設計につながると考えました。
そこで、吉村先生の初期、中期、晩年といろんな時代のデザインの特徴を盛り込んでいけたら面白いかなと思いました。それでいて、家具なんかも縁のある人に関わってもらうということができれば、吉村先生の世界観や広がりをここで表現できると。
岡本:はじめに伊礼さんから「全体の重心が低い」という話をお伺いしたとき、正直どういうことか理解できていなかったんですよ。でも会話を重ねていくうちにその答えが見えてきて、理解が深まっていくのが楽しかったですね。
伊礼:一見、普通に見えるんですが、自分で設計したらやらないことが見えてきたんです。この窓(写真下の後ろ)だって、こんなに低くはつけないですから。これは座ったときの目線から考えられているんですよね。
このマンションを設計するうえで、空間の重心を落とすように作られているんです。長押(なげし)だって、今では前時代的なものなので一般的なリノベーションをするなら普通は外してしまいますが、まったくそのまま残すことで窓の低さが気にならない。そういうことが分かってくると、どんどんやりやすくなってきましたね。
小林:進めていくうえで葛藤はありませんでしたか。
伊礼:あくまで「らしさを残しながら手を加えていく」という考え方をしていました。開口部は障子を変えましたが、あとはほとんど変えていません。雨戸の考え方、在り方、仕掛けが素晴らしかったので大きく変える必要はありませんでした。
先ほど話に挙がったラワンベニヤだってそうです。長押よりも低いところにラワンベニヤをあつらえることで、重心を下げて空間を落ち着かせることができました。そういった吉村先生好みのプロポーションを意識していました。
リビングに備えつけたソファーも、まるで吉村先生に「ここにソファーを置くといい」と言われているように自然とイマジネーションが広がりました。
岡本:まるで合気道みたいですね。相手の力を使うから力まなくても大きな力になるというか。そうは言っても伊礼さんらしさもあるのではないでしょうか。
伊礼:今回、造作家具や収納も更新するうえで吉村先生に縁のある人の作品を集めています。奥村先生の「はんぺんチェア」、吉村先生、中村好文先生、丸谷先生共作の「たためる椅子」や中村好文先生の照明「PERA」などです。
永田先生も含め、いろんな先生方に教えてもらったことが僕のなかで混ざりあいながら生きていて、それが“僕の設計”ということでいいと思っています。自分では真似しているようでも少しずつ変わっていって、自分らしくなっていくのではないでしょうか。
岡本:不思議ですね。伊礼さんは自分を抑えているとおっしゃっていても、得も言われぬ“伊礼さんらしさ”の正体ってなんなのでしょうね。
僕はこれ見よがしのものではなく抑えながらも溢れてくるものが、その人の作家性だと思っているので、むしろ、こうして吉村先生のテーマパークのようなプロデュースをしていただいたバランス感覚が伊礼さんらしさなのかもしれませんね。
(後編へ続く)
編集・執筆・撮影/山田卓立
小林潤
今回の鼎談は、岡本さんの「コピーライター」という仕事を知る機会にもなった。それまでは「キャッチコピーをつくる才能」があってこその生業と認識していたが、この度上梓された『ステートメント宣言。』によって、岡本さんも僕らと同じ“叩き上げ”だという理解に変わった。才覚に恵まれたアーティストのような存在は、“言葉の”ものづくりという点で設計とも施工とも共通点を持っていた。
鼎談中の言葉を借りれば、「コピーライターも建築家も、八百屋も喫茶店もみんなものづくり。まずは依頼があってからの話であり、クライアントの言い分を聞いて何を考えているか、聞くという行為に重きを置いている。そこから対話を繰り返し、初めて考えて、書く」とおっしゃっていた。
新聞広告なら寿命はその日だけと言ってもいい。しかし、クライアントとの関係性はそこでは終わらず、長ければ何年も続く広告キャンペーンにつながっていく。ひとつひとつが日の目を見るのは刹那的だが、その過程には膨大なエネルギーが注ぎ込まれていた。
そして、コピーライティングは一点物。建築と同じように“横転”することはなく、クライアント(施主)のオーダーを理解することがもっとも重要だ。
「この本は僕の師匠である岩崎俊一から学んだことが半分。残りの半分は広告の話というよりも人間関係の本だと思っています。誰にでもある一対一の関係。それは伊礼さんと吉村先生の一対一であり、永田先生との一対一。尊敬する人から何を吸収できるか。そういう本です」(岡本欣也・談)